41歳の春ですよ

1990年春、大学に入学した僕らを迎えてくれたちょっと感動的だった言葉は「君たちは未来からの留学生です」ってヤツだった。
多分、あの頃の僕らの未来ってのは、ちょうど今ぐらいのイメージだったんじゃないかなと思うんだけれど、僕らを「未来からの留学生」として受け止めてくれて教育してくれた先生方に報いることができるような立派な大人になれているんだろうかと、ふと自問してしまったり深く反省することばっかりだったりするのは、今が41歳の春だからなんだろうな。
バカボンのパパと同年齢になって迎える春ですよ。ちょっと感慨深いね。

バカボンのパパというと、まあ非常識な行動が目立つワケだけれど、美人でしっかりものの奥さんをもらって、素直な長男と賢い次男が居て、ご町内の皆さんとの関係も良好で、休日には学生時代の仲間が家に訪ねてきて(ある年代にとってはどの大学のリアルな校歌よりも有名な)校歌を肩くんで歌っちゃったりして、まあ、なんというか結構幸せな人生を送ってるように見えるワケですよ。
とまあ、本題はバカボンのパパをうらやむことじゃないんだけれどな、調子にのりました。

実は大学時代にかけられた言葉で、もう一つ考えさせられる言葉があって、それは「あなたは何者ですか?」っていうものだ。これに答えられたらバイクを譲ってあげると言われて、まあ答えられなかったけど譲ってもらえたバイクは一瞬で盗まれて藤沢市の治安は最悪とかそういう話はさておくとして、この「あなたは何者ですか?」ってのは、ずっと心にひっかかっている問いなのだ。41歳の春を迎えても、自分は何者でもない「その他大勢」でしかないような気がしていて、これでは僕らを「未来からの留学生」として扱ってくれた先生方に申し訳が立たないなと思っているワケです。とまあ、そんなことを枯葉散る白いテラスの午後三時に考えたりするワケです。

で、次は55歳がひとつの節目かなと思っていて、ソレは磯野波平さんの年齢で。娘は結婚して、孫ができちゃってたりするのな。ってのは、サテオキ。

結局、ものすごく恵まれた環境で読み書き算盤コンピュータを教えてもらったワリには、ただの「ちょっとパソコンに詳しい人」にしかなれてない自分に焦りとかそんなものを感じるんだけれど、まあソレはサテオキどうでもいいけど、長いな。
酔っ払ってるとロクなことないな。